
重要なポイント
- 『ニーア レプリカント ver.1.22474487139』(リメイク版)には、新たにEエンディングが追加されました。
- この結末には主人公ニーアの復活の裏に人類滅亡のサインが隠されており、ニーア復活の代償として、神樹の管理者がいなくなり世界が完全に失われることを示しています。
- カイネの生きる意味の変化がみられるのもEエンディングの魅力のひとつです。
『ニーア レプリカント ver.1.22474487139』(以下、『ニーア レプリカント(リメイク版)』)は、主人公ニーア(名前は自由に設定可能)が、病気を患っている妹ヨナを救うために旅をするアクションRPG。本作は、2010年に発売された作品のリメイク版として、2021年にリリースされました。
リメイクに伴い、エンディング分岐にEエンディング(Eエンド)が新たに追加されました。
Eエンドは、クリアーしたプレイヤーによっては、ハッピーエンドに見えるものの、じつは鬱エンドである、という見方もあります。
本記事では、なぜEエンディングが鬱エンディングだったのか、その理由について考察します。
世界から削除されたニーアを"復活"させるEエンディングとは?
『ニーア レプリカント(リメイク版)』には、Aエンド~Eエンドまで計5種類のエンディングが用意されています。Eエンドは、Dエンド後の世界線で消滅した主人公ニーアが奇跡的に復活するエンディングです。
そのため、復活後のカイネの記憶には、ニーアと旅した記憶はありません。カイネは、大切ななにかを忘れた気がしたまま物語は終わります。これがDエンドの概要です。
Eエンドでは、その"忘れている大切なもの(ニーアの記憶)"を見つけるため、世界を監視・管理している"神樹の内部に訪れて管理者と対峙する"という内容です。
そして、侵入した神樹からニーアの記憶データを復元して、奇跡の復活を遂げます。最終的には、ニーアが復活して「めでたし、めでたし」に感じるのですが、じつは鬱エンディング要素が隠されています。
その理由は次のとおりです。
じつはDエンドの時点で人類の復活は絶望的だった!
"神樹"の役割を知ると鬱エンディングだった根拠がみえてきます。"神樹"は、単なる森林の大きな樹木ではありません。ニーアの世界において神樹は、世界の事象を記録している記憶ユニットであり監視者でもあります。
では、なぜ世界を記録・監視していたのでしょうか? それは、人類を救う計画である"ゲシュタルト計画"の監視のためです。本編から遡り西暦3000年代、人類は"白塩化症候群"という病で絶滅寸前に陥っており、人類を塩に変えてしまうパンデミックが流行していました。
その救済のために"ゲシュタルト計画"が発動します。
そして、"パンデミックが収まり次第、数年後に作り物のレプリカント(人類の魂を収める"器"として人工的に作られた肉体)に魂を戻そう!"……というのが計画の真相となります。
つまり、神樹はゲシュタルト計画の進捗を管理している監視者なのです。
しかしDエンドの時点で、人間の肉体と魂の統合に必要な書物である"白の書と黒の書"が破壊されており、計画は破綻。神樹は、"人類はもう救えない"と判断して、レプリカント(人間の器)を排除するリセットを発動したのでした。
そのプロセスとして、機械兵器でレプリカントを駆逐しはじめます。このようにEエンドは、"ゲシュタルト計画が破綻してからの物語"なのです。そして、神樹のリセットプログラムを止めることがカイネの第一の目的です。
初見は、王道RPGのように"ただ魔王を倒して終わり"のように認識してました。しかし、ニーア関連の動画をみて計画の概要を知ったときにはじめて、意味を理解して驚愕したのを覚えています。
ニーアの復活には大きな代償が伴っていた
Eエンドにおける"ニーアの復活"とは、神樹からニーアに関する記憶を取り戻してデバックする流れです。
神樹の"世界をリセットする意図"にカイネは抗い、神樹の管理者にとってバグのような存在と定義されて攻撃されてしまいます。その戦いの最中に、ニーアの声が聞こえてきて彼の存在を思い出します。
そして、神樹の"世界をリセットする"という意図をカイネの想いが上回り、魔法で神樹の管理者を倒し、その結果"ニーアの記憶データのデバック"に成功します。ただ、このEエンドの結末は、ハッピーエンドとはいえません。なぜなら、神樹のプログラムに抗ったため、人類を復活させる術を完全に失ってしまったからです。
ゲシュタルト計画は、すでに破綻していましたが、神樹の管理者がいなくなり世界の命運はカイネとニーア次第になったのです。
つまり、ニーア復活の代償として、人類の復活を模索していた神樹に頼れなくなったということなのです。一見、「ニーアが復活して、よかった」と最初は感じますが、「代償に人類を完全に滅ぼした」ともいえます。
そう、"一人のために、全てを滅ぼす"という原作のキャッチコピーのとおりに、ニーア復活のために人類は滅んでしまったのです。その真意がわかったときに、鬱エンディングだと気がつくのです。
余談ですが"神樹の管理者"のセリフに、こんな内容があります。
- 「僕たちはずっとみていた」
- 「私たちはずっと聞いていた」
- 「君の可能性をみせて」
- 「私たちを楽しませて」
この言葉の真意は、ゲシュタルト計画は破綻したものの、計画上のバグともいえるカイネに対して、ほのかな期待を寄せていたのかもしれません。真剣に生きるカイネやニーアに世界再生への新たな可能性を見出そうとしていたのでしょう。
復活したニーアはなんで少年に戻ったの?
Dエンドの時点では成人だったニーアですが、なぜかEエンディングでの復活時に子どもに戻っています。なぜなのでしょうか? その理由は、最初に神樹の内部に入るために"神話の森"に訪れた際に、カイネの脳内に少年ニーアの姿が再生されたからです。
そのカイネの脳で再生された、少年ニーアの記憶をもとに、最後に復活させたのでしょう。
Eエンドのカイネのセリフには、"生きる意義の変化"も鮮明に描かれている
Eエンドでは、カイネは神樹の管理者と対峙して、ついに主人公のことを思い出します。
- 「私はもう決めたんだ! 誰にも指図も受けない! 私は刃になるって決めたんだ!」
- 「お前の……お前の刃になるって決めたんだ!!!」
- 「絶対に、絶対に、絶対に取り戻してみせる!!」
- 「ふざけんなっ! 勝手に消えて!勝手に消えて! どういうつもりなんだ!!」
- 「自分が生きてる意味は自分が決める!」
- 「この命も私が勝手に使う!だから……」
- 「とっとと戻って来い!この腐れ○○○○(ピー音)野郎!」
……という、ニーアを求めるカイネの名セリフに涙腺が崩壊したプレイヤーも少なくはないでしょう。
じつは、Eエンドのセリフには、カイネの"生きる意味"の内面的な変化も描かれており、カイネの成長を実感できるエンディングにもなっています。最後に、どうカイネの意識が変容していったのかについて触れていきましょう。
ニーアと出会う前は"復讐"が目的だった
カイネは、両性具有という体質から崖の村で差別を受けながら育ちました。そんな不遇な人生のなかで唯一、義理の祖母カーリーだけが彼女をありのままに受け入れてくれたのもあり唯一の理解者でした。
しかしある日、魔物フックの襲撃によってカーリーは踏み潰されて殺害されてしまいます。カイネ自身も瀕死の重症を負ってしまい、さらにその瀕死状態のカイネに、別の魔物であるテュランが弱みにつけ込んで憑依しようとしてきたのでした。
その結果、魔物の力でカイネは、再生能力を得て一命を取り留めます。魔物憑きとして復活したカイネは、魔物フックへの復讐を誓います。ニーアと出会った直前のカイネも、まだ復讐を果たしておらず、おばあちゃんの仇である"フックへの復讐"を生きる意味としていました。
復讐を完了したカイネは生きる意味を探すように
ニーアと出会ったあとに、悲願であったフックへの復讐を果たしたあと、カイネは生きる意味を失います。なぜなら、復讐が終わり目的を完全に失ったからです。
しかし、ともに戦ってほしいというニーアの言葉に心を動かされて、"剣の使い道がわかるまでは、そうしよう"と仲間になることを決意します。このシーンは、カイネにとって"生きる意味の再定義"でした。死んだおばあちゃんのように分け隔てなく接してくれるニーアとの出会いを通して、復讐以外の生き方を模索しはじめたのです。
旅を通じて恋心を抱くようになる
ニーアとの旅のなかで、カイネはニーアに対して仲間以上の感情を抱くようになります。その不器用な恋心は、主人公の村や魔王の城でのワンシーンにも表れています。
ニーアの少年期編から5年後に、主人公の村でカイネと再会するシーンでは、成長して身長が高くなったニーアをみて驚くシーンがあります。逞しく成長した彼の姿をみて、恋愛感情が芽生えたことを伝える最初のシーンです。
次に、ラストダンジョンの魔王の城で泣いている主人公を蹴り飛ばしてから、胸ぐらを掴んで壁に押し付けるシーンがあります。ふたりの顔が近づいたときに、"この人のこと、好きなのかも"と自覚してそっと身を引きます。
このように、魔王との戦いのなかで、カイネは"ニーアを守る刃になる"という3度目の生きる意味の変化を迎えるのでした。この時点では、彼を旅の最後まで見守るという意味です。
Eエンディングでは、"愛するニーアのために生きる"に変化
Eエンドが彼女の生きる意味の4度目の再定義であり、最終的な結論が"主人公の刃として生きる"へと変化しています。
"復讐"から始まった彼女の生きる意味は、ニーアとの旅を通して"彼を慕う"感情へと変わり、最終的には自らの意志で"愛するニーアのために生きる"プラスの方向へと昇華したのです。
このように、物語を通して、おばあちゃんの仇をとる復讐劇から、だんだんとニーアのために心境が変化していく姿をみられるのも、Eエンドをみる醍醐味のひとつです。
"復讐"から"愛"に意識レベルが変容したカイネですが、ニーアのために人類と世界の管理者の神樹を滅ぼしています。"個人の幸せという視点"では、とても感動するエンディングですが"人類の存続という視点"では、完全終了しているわけです。
その前兆を表現するものなのか、Eエンドのムービー中の背景には"黒い鳥"が飛びまわっています。ムービーのカイネの表情をみると幸せそうなのですが、世界の命運を考えると不吉な予感しかしない。そんな、考察の余地がある興味深い終わりかたであり、筆者は何度もEエンドをみて楽しんだ経験があります。