重要なポイント
数十年間にわたる誤った非難のすえ、ビデオゲームにおける暴力の真実が明らかになりました。バーチャルな世界での"血まみれの対立"は、現実世界においてプレイヤーを危険な存在に陥れるわけではありません。実際は、その逆です。
ビデオゲームにおいての暴力は、AIの敵を打ち負かすためにプレイヤー同士が協力することを促し、巨大な挑戦を克服することで感情的な達成感を与え、さらには現実世界での殺人事件の全体的な発生率を減少させる可能性があります。
ビデオゲームにおける暴力は、しばしば特定の人々の"暴力的な行動の原因"として非難されます。これは、ゲーム内での対立を伴う出来事と、現実世界での誰かの行動を結びつける結果として生じています。しかし、現実世界の暴力には、それ以上に多くの要因が関与しています。
暴力の定義
ビデオゲームにおける暴力が良いものである理由を論じる前に、暴力の性質を理解する必要があります。以下は、"Oxford Learner's Dictionaries"による"暴力"の定義です。
「Violent behavior that is intended to hurt or kill somebody.」
日本語では、「誰かを傷つけたり、殺したりすることを目的とした暴力的な行動」と訳されます。
では、これを詳しく見てみましょう。行為が真に暴力的であるためには、他者を精神的、身体的、または感情的に傷つける意図が必要です。
さらに、その対象は生きている存在でなければなりません。石や土の塊に対して暴力を振るうことはできません。そのような対象を攻撃することは破壊的行為と見なされ、暴力ではありません。
まとめると、真に暴力的な行為とみなされるための要件は以下の通りです。
- 傷つけたり、殺したりする意図
- 生きている存在を対象にすること
・害を加える、または殺す意図
上記の定義に基づくと、実際にはビデオゲームで"暴力的"になることはできません。ビデオゲームにおける"対立(戦い)"に関しては、"模擬された暴力"などの用語を使用すべきです。
具体的には、ビデオゲーム内で生き物に物理的な危害を加えたり、殺したりすることは不可能です。ゲーム内で起こることはすべて現実ではなく、ただのプログラム、アニメーション、音声効果に過ぎません。
もっとも近いのは、ボイスチャットシステムで言葉による暴力を振るうことですが、これもゲームの設計には含まれていない行動です。これは、もともと怒っていた人が感情をぶつけているか、(対戦ゲームなどにおいて)負けを受け入れられない人が意図的に不愉快な態度を取っている場合です。
ただし、このような行動をする人をブロックしたり、禁止したりすることが可能です。これらの対策は長いあいだマルチプレイヤーゲームに組み込まれており、言葉による暴力を防ぐ機能は、ゲーム内の否定的なやり取りを積極的に減らしています。
・生き物を対象にすること
害を加える、または殺す意図と同様に、ビデオゲーム内で生き物を対象にすることもできません。なぜなら、繰り返しになりますが、ビデオゲーム内のものは現実ではないからです。また、マルチプレイヤーゲームでの言葉による暴力を相手に向けることは、ゲームが暴力的であることを意味するわけではありません。それは単に誰かが攻撃的になることを選択しただけであり、ゲーム機能の外の出来事です。
さらに一歩進めて考えると、マルチプレイヤーゲーム内での言葉の対立が現実世界にまで発展した場合、その時点でビデオゲームはまったく関係なくなります。それは、電話で誰かと口論したのと同じ状況になります。
このような対立がゲーム中に発生したという事実は、問題がゲーム自体に起因するのではなく、人々の行動に起因するため、もはや重要ではなくなります。
ビデオゲームにおける、"模擬された暴力が悪い"と考えられる理由
アメリカでは、この問題は1990年代に始まりました。ESRB(エンターテインメントソフトウェアレーティング委員会)の設立まえには、ビデオゲームに何が含まれて良いのか、何が含まれてはいけないのかについて、実質的な規制がありませんでした。このため、当時のメディアで許容される範囲を超えた内容を含むタイトルがいくつか登場しました。
・『モータルコンバット』の論争
ビデオゲームというメディアの限界を押し広げたシリーズのひとつが『モータルコンバット』です。1990年代初頭、『モータルコンバット』は、当時の他のゲームに比べて、はるかに多くの血や暴力的な表現が含まれていました。
映画と同様に、このことは検閲に対する懸念を引き起こしました。しかし、映画とは異なり、ビデオゲームにおいて何が表示されるべきか、何が表示されるべきではないかを規制するものはまだ存在していませんでした。
結論を言うと、アメリカ政府はこの問題を十分に憂慮し、ESRBが設立され、ゲームの内容に基づいて監視および分類する役割を担うようになったのです。
・盲目的な活動
ゲーム業界がコンテンツを規制するために最善を尽くしているにもかかわらず、ビデオゲームに対する全面的な攻撃を繰り広げる人々がいました。しかし、これらの人々は、他の要因によって引き起こされた問題をビデオゲームのせいにしていました。
この運動のなかでもっとも声を上げた人物のひとりは、弁護士のJack Thompson(ジャック・トンプソン)でした。Thompsonは、2000年3月23日に放送されたアメリカのニュース番組『20/20』のインタビューで、「すべての学校銃乱射事件で、引き金を引いた子どもたちはビデオゲーマーであることがわかっている」と発言しています。これは明らかに虚偽の発言でした。
さらに、Thompsonはラップ音楽やHoward Stern(ハワード・スターン)にも同様の理由で反対していたことが知られています。皮肉にも、彼は2007年に職業上の不正行為により弁護士資格を剥奪されています。
・学校銃乱射事件とビデオゲームの関連性
アメリカのコロンバイン高校銃乱射事件(1999年)の悲劇の後、多くの人が犯人の行動をビデオゲームのせいにしました。犯人のふたりが『Doom』のようなゲームに興味を持っていたことが判明し、クリントン政権下のアメリカ政府はこの問題の調査を開始しました。
2004年に発表されたこの調査報告では、学校銃乱射事件の加害者のうち、暴力的なビデオゲームに興味を持っていたのはわずか12パーセントであることが明らかになりました。対照的に、加害者の24パーセントが暴力的な書籍に、27パーセントが暴力的な映画に興味を持っていたことが判明しました。
さらに興味深いのは、加害者たちが詩やエッセイ、日記など、自身で書いた作品を通じて暴力に対する興味を示していたことです。なんと37パーセントの加害者が、ほぼ独自の書き込みから暴力に対する興味を示していたことが判明しました。つまり、これらの人物はメディアではなく、自分の生活環境から暴力的な傾向を引き出していたことを示しています。
ビデオゲームにおける暴力のシミュレーションが人々に与える助け
ビデオゲームにおける暴力のシミュレーションについては、膨大な数の研究が行われています。しかし、そのどれもが、ゲーム内の暴力が現実世界の暴力につながることを証明できていません。むしろ、この問題に関する数十件の主要な研究では、逆の結果が示されています。
行われた実験の結果では、"暴力的な"ビデオゲームをプレイした後に行動の変化は見られませんでした。異なる背景を持つ、さまざまな年齢の子どもや大人に対してテストが行われましたが、どれも同じ結果を示しました。
生まれつき攻撃的な性格の人々は、暴力に興味を持っている傾向があります。これらの人々は、個人的な興味からビデオゲーム内の暴力的なシミュレーションに惹かれただけであり、ゲームが現実世界での暴力的な行動に影響を与えたわけではありませんでした。
・ビデオゲーム競争 vs 暴力のシミュレーション
2011年、カナダのオンタリオ州にあるブロック大学で、ビデオゲームにおける競争と"暴力"の影響を調査する心理学的研究が行われました。簡単に言うと、この研究では、暴力の描写よりも競争がプレイヤーをより攻撃的にさせるという結果が示されました。
コントロールゲームとして使用されたのは、レースゲームの『Fuel』と、協力型のゾンビシューター『Left 4 Dead 2』です。『Fuel』には血やゴア表現はありませんが、このゲームをプレイしたゲーマーは、『Left 4 Dead 2』をプレイしたゲーマーよりも攻撃的であることが判明しました。
競争はプレイヤー間の攻撃性を煽ります。なぜなら、競争に勝つためには他のプレイヤーを打ち負かす必要があるからです。自分がトップに立つためには、誰かを負かすことが必要であり、これが他者の失敗を望むという攻撃的で敵対的な思考に繋がります。
一方、『Left 4 Dead 2』では血やゴアがはるかに多く含まれているにもかかわらず、プレイヤー同士の関わり方はずっとポジティブでした。このゲームプレイは協力型であり、成功するためには他のプレイヤーを積極的に助ける必要があるからです。
ゲームセッション後、『Left 4 Dead 2』のプレイヤーは『Fuel』のプレイヤーよりもはるかに友好的な態度を示しました。前者のタイトルに含まれる暴力のシミュレーションは、実際には人々の攻撃性を低下させました。共通の敵と戦うために他者と協力することで、社会的な共感が高まり、協力戦術が増加し、被験者のストレスレベルが全体的に低下したことがわかりました。
・ビデオゲームの対立がもたらす感情的な利点
ビデオゲームをプレイするのは、気持ち良くなりたいからです。プレイヤーには達成すべき課題があり、それに成功すれば報酬が与えられます。ゲームのジャンルにかかわらず、この事実は変わりません。これこそが、すべてのビデオゲームにおけるゲームプレイの核心的な考えかたです。
現実世界の課題とは異なり、ゲーム内での失敗には現実的な結果がありません。何度でもやり直すことができます。そのため、成功の報酬は失敗の恐怖よりもはるかに強力です。
さらに、対立が激しければ激しいほど、感情の反応も強くなります。たとえば、生死をかけた戦いに直面すると、感情はさらに高ぶります。とくに『エルデンリング』のような、難易度が高い戦闘中心のゲームでは、この傾向が顕著です。
ボスに倒されたときは、もちろん気分は悪いです。しかし、強くなってボスを倒したときの達成感は素晴らしいものです。ゲーム内の暴力的な対立は、プレイヤーに自己向上を促します。
シミュレーションされた暴力がプレイヤーに多く投げかけられるほど、それを克服しようとする努力が強くなります。そして、目標に向かって努力すればするほど、成功したときの喜びも大きくなります。
殺人事件の減少
2014年、アメリカ・ペンシルベニア州のビラノバ大学の研究で、予期しない結果が示されました。研究者たちはFBIシステムに記録された暴力犯罪を、"暴力的"とされるビデオゲームの発売と比較しました。
予想に反して、『グランド・セフト・オート』や『コール オブ デューティ』シリーズのゲームがリリースされた後、殺人事件の発生頻度は低下していました。潜在的に殺人を犯す可能性のある人々が、現実で怒りを爆発させる代わりに、家でシミュレーションされた暴力を楽しんでいたということです。
これは現代に限ったことではありません。30年以上にわたるFBIの記録とゲームの発売データが調査され、この結論に至りました。暴力的な傾向を持つ人々は、他人を傷つけたり、殺したりするよりも、ビデオゲームをプレイすることを好んでいるのかもしれません。
このことは再び、暴力的な行動を引き起こすのはビデオゲームではなく、人々が自身に訴えかけるコンテンツに引き寄せられるという事実を証明しています。ビデオゲームが人々を暴力的にするわけではありません。むしろ、逆のことが言えます。
この研究は殺人事件に焦点を当てていますが、同様の傾向は他の犯罪にも当てはまる可能性があります。ビデオゲームは、危険な人々に憎悪を安全に発散させる手段を提供することで、街をより安全な場所にしているのです。