『聖剣伝説 VISIONS of MANA』から見る"RPGのザコ戦"はなんのためにあるのだろう? という疑問

面倒なだけのザコ戦の存在意義とは?

ライター /

重要なポイント

"ザコ敵"と戦うことがほぼ当たりまえのようにあるRPG。しかし、敵が弱いのならば戦う意味は薄い。なぜそんな要素が存在するのか? RPGというジャンルが大きく広がったいま、改めてその意義を考えていく。

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』をクリアした。ひとつ気になったのが、このゲームの"ザコ戦"にほとんど意味がなかったところである。

道中にいるザコ敵は必須戦闘を除いて無視をすることが可能。また本作はレベリング(レベル上げ)をしなくともよいバランス調整なので倒す必要がない。仮に戦うとしても、必殺技や範囲攻撃でまとめて倒せてしまう。

つまり、セミオープンワールドにたくさんのザコ敵がいるのに、それらはほとんど飾りに見えたのである。彼らはいったいなんのためにそこにいるのだろうか?

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』ザコ敵を眺めている主人公
© SQUARE ENIX

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』。中央にいるのがザコ敵。

そもそも「RPGにおいてザコ戦は必要なのか?」という疑問は昔からあった。作品によっては早送り(が可能な戦闘システム)で処理することもできるがザコ戦だが、なぜ早送りで飛ばしたいものをプレイヤーにやらせるのだろうか? 早送りでよいのなら、"なくてもよい"のと変わりないではないか。

この記事では改めて、なぜRPGにザコ戦が必要なのかを考えてみたい。

(※『聖剣伝説 VISIONS of MANA』は厳密にはアクションRPGだが、アクション要素が薄めでキャラクターの育成といったRPG要素が強いため、今回はRPGとして捉えている)

①ザコ戦は立ちはだかる障害である

『レジェンド オブ レガシー HDリマスター』バトルで全体攻撃をしている画面
© FURYU Corporation. Licensed to and published by NIS America, Inc.

『レジェンド オブ レガシー HDリマスター』。

ザコといえども強敵をぶつけてくるゲームもある。一部の『サガ』シリーズや『レジェンド オブ レガシー』といったタイトルはそれに近い思想で作られている。

『ふしぎの城のヘレン』というゲームも、ひとつひとつのバトルに意味が込められている作品だった。『ふしぎの城のヘレン』は攻撃の効果や行動までのタイムカウントなど必要な数値が明確に表示されており、かつ乱数によってダメージが増減することもない。ザコ敵と戦うにしても戦略を考えていく必要がある、珍しいゲームシステムを採用したRPGといえよう。

こういった作品はザコ戦ですらおもしろいのだが、明らかにコアゲーマー向けである。ある意味でザコがザコではなくなるデメリットもあるわけだ。

②ザコ敵を倒すとインセンティブがある

ザコ敵を倒すと何かを得られる、というのは定番のシステムだ。アイテムを落とすとか、あるいは宝箱を守っているといった作りでもよい。

『ダークソウル』シリーズや『エルデンリング』などのいわゆる"死にゲー"にはこの要素が強く、ザコ戦の意味を付加しやすい。本当に単なるザコでも、レアアイテムのドロップを狙って倒さなければならないケースも生まれるからだ。

あるいは、モンスターを倒すと一定確率で仲間になる『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』も大きなインセンティブを持っている。

また、仲間になるポケモンがバトル相手として出てくる『ポケットモンスター』シリーズは、ポケモン図鑑を完成させるという意味においては、"ザコ戦≒ゲームの目的"といえるだろう。

③ザコ敵は経験値を落とす存在

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』ザコ戦とバトル中、ジャンプしながら切りかかっている様子
© SQUARE ENIX

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』のザコ敵とのバトル。

敵を倒すと経験値が得られてレベルアップして、ゲームがスムーズに進行する。とくにJRPGではおなじみの作りだが、じつはこれは扱いが難しい。

昔のゲームはともかく、昨今のゲームはレベリングが必須だと"あまりおもしろくない"といわれることもある。筆者としても、単調なレベル上げが必須のRPGは高く評価できず、意味づけとしては危ないものでもある。

④ザコはリソースを消耗させる存在

『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』ダンジョンを進む勇者・戦士・僧侶・魔法使い
© 1988, 2019 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved. © SUGIYAMA KOBO

『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』。ダンジョンを進む勇者・戦士・僧侶・魔法使い。

古いRPGでは、"ザコはリソースを消耗させる存在"といえる。ダンジョンに潜って目的を果たしたあと無事に街へ帰れるか、あるいは次のチェックポイントまで進むことができるのか。ザコ敵はそれ単体では脅威ではないものの、疲れ切ったキャラクターたちには脅威になりうる。

過去のRPGにおけるダンジョンは、こういったリソース管理の遊びだった。MPやアイテムが尽きるまえに目的を果たせば勝利、できなければ作戦の練り直しとなる。

ただ、こちらも現代のゲームでは成り立ちにくい。なぜなら、現代のゲームは親切でありチェックポイントが豊富だからだ。ダンジョンの奥でボスにやられたとして、ボスの直前から再開できないのはまずありえないだろう。

⑤おもしろいから戦う

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』パルミナの必殺技
© SQUARE ENIX

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』のパルミナの必殺技。

そもそもザコ戦がおもしろくないのが問題である。ターン制のコマンド選択式バトルはボタンを連打する作業になりやすく、ならば、アクション要素を付加すればキャラクターを動かすだけで楽しくなるはず。

……というのがアクションRPGの生まれた理由かもしれない。実際、アクション要素が強ければバトルそのものがおもしろくなるし、インセンティブがなくとも遊ぶ人が出てくるだろう。

もっとも、アクションRPGにおける"アクション"と"RPG"の比重は作品による。少なくとも『聖剣伝説 VISIONS of MANA』はかなりRPG寄りで、多くの人がクリアできるような想定で作られている。

ゲームはつねに変わり続け、ザコ戦の意味も変化する

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』草原のフィールドを進む主人公たち
© SQUARE ENIX

『聖剣伝説 VISIONS of MANA』。草原のフィールドを進む主人公たち。

なるほど、こうしてザコ戦の意味を考えていくと、『聖剣伝説 VISIONS of MANA』のザコ敵を無視できてしまう理由が見えてくる。

本作のザコ戦はどれが該当するかというと、"②のアイテム(インセンティブ)"と"③の経験値"が該当する。ただ、敵ごとにユニークなドロップアイテムがあるとはいえ欲しい人だけ集めればいいものだし、経験値も影響力が弱めである(ボスの経験値をアイテムで増やしたほうが早い設計)。つまり、単純にインセンティブが弱いのである。おまけにゲームシステム的にも、ザコ敵を回避し続けてなんら問題ない状態になっている。

とはいえ、『聖剣伝説 VISIONS of MANA』のザコ戦がまったく無意味なわけではない。

このゲームにおけるザコ戦は、とりあえず経験値を稼げるポイントであり、価値はそこまで高くないものの収集要素があるという、"ないよりはあったほうがいいかもしれない消極的なザコ戦"なのである。

逆に、①~⑤の要素を満たせていればザコ戦にも意味が出てくるうえ、評価されやすいゲームになるのだろう。あくまで筆者の主観だが、死にゲーはこのあたりの水準が高いと感じている。

"RPGのザコ戦"は無意味なものではない。しかしビデオゲームは時代によって形式を変えるため、意図もなく入れられた要素になってしまうと、ただ無視されてしまうだけの存在になってしまうのだろう。

Pinion Logo
ニュースレター
を購読する


購読する プライバシーポリシー
投票
あなたが1ヵ月に使う平均的なゲーム購入費は?
投票する
結果を表示