重要なポイント
"間違い探し"がテーマの『8番出口』は、駅構内の異変を見つけて次の出口を目指すウォーキングシミュレーター。ゲーム配信との相性も良く、配信者や視聴者が間違い探しに熱中する様子も魅力のひとつだ。
"間違い探しって楽しい"。
幼少期は児童書で、そして大人になってからは、ファミレス"サイゼリヤ"のキッズメニューや、コンビニのコピー機の待ち時間(のときのスクリーン表示)、そしてもちろんテレビゲームなど、"間違い探し"は我々の日常のすぐ近くにある存在だったりする。
『8番出口』も、そんな"間違い探し(ゲーム)"のひとつ。永遠にループする駅のホームを行き来しながら、その駅の構内に起こる"異変"……普段とは違う"間違い"を見つけて脱出する、というタイトルだ。プレイヤーはスタート地点である"0番"の出口から1番、2番と構内を進み、"8番"の出口にたどり着くことが目的。
重要なのは、異変を発見した際は後退する必要があるということ。異変のあるときは先に進まず、引き返すことでつぎの出口へと向かうことができる。もしここで異変があるのに発見できず、間違って進んでしまった場合は、またプレイヤーは0番の出口へと戻されてしまう。8番出口へとたどり着くには、8回連続で"異変があるかないか"を見極めなくてはならない。
いわば、没入型の間違い探しとでも言うべきだろうか。紙(雑誌など)を上から見下ろして見比べるのではなく、3D空間内を実際に歩き回りながら間違いがないかを探すのである。
敵対者のいないホラーゲーム、雰囲気だけで恐怖は十分
本作のジャンルは"ウォーキングシミュレーター"と銘打たれているが、"ホラーゲーム"と表現しても過言ではないだろう。脱出することができない駅構内各所で発生する数々の異変。舞台設定としてはとんでもないほどに密室系ホラーである。実際筆者も、ゲーム開始序盤は歩くのすら怖く、適度に深呼吸を挟まなければやっていられないほどであった。
ただ、慣れてくると印象が大きく変わってくる。どちらかと言えば"ホラー"よりも、"間違い探し"の領分が大きくなってくるからだ。
なんなら、プレイヤーは怖いこと……いわゆる"異変"が起こることを喜びさえする。なぜならそれはわかりやすい間違いを見つけたのと同じことで、次のエリア(出口)へ進む条件である"異変を見つけたら引き返せ"を達成するには大いにプラスであるからだ。
普通、こんな恐ろしい場所では怖いことが起こるのを嫌がるのが道理だろう。それが逆に、「よっしゃ怖いの見っけ! 戻ろ戻ろ」となってしまうのだから不思議なものだ。
本作では「敵や罠に襲われてゲームオーバーになった!」というような、いわゆる"死の恐怖"のようなものがほとんど存在しない。つまり敵対する存在がいないのだ。あるのはただ、恐ろしい空間から脱出するための、異変と向き合う時間だけ。
そんな状況を理解すれば、意外と人は強くなる。四方に目を光らせ、どんな小さな異変だろうと見逃さないよう、あんな恐ろしげな空間を注意深く観察するようになっていくのだ。
ホラーに対する反応として考えると、普通は逆だろう。「もう怖いものは見たくない!」なんて言いながら目を塞ぐのが正常な反応であるはずだ。
そんなホラーゲームのようでホラーゲームではないプレイフィールが、本作を唯一無二の存在たらしめている要因だろう。不思議な駅構内に閉じ込められて、数々の異変に襲われる……なんてホラーマニア垂涎のシチュエーションでありながら、プレイヤーの到達する地点が"間違い探しの修羅"というのはなかなかにおかしな話である。
傍観者として見た時のおもしろさ、配信需要にクリティカルヒット?
で、この"間違い探しの修羅化現象"は、プレイしている本人というよりそれを見ている周囲の人間のほうが気付きやすい。いわゆるゲーム配信者と視聴者の関係性だとベストだ。適度に他人ごとだからこそ、相手の変化をおもしろく観察することができる。
最初はビビりまくっていた配信者が、どんどん間違い探しにのめりこんでいく。この過程を遠巻きに眺めるのがおもしろいのだ。
たとえば、『8番出口』唯一の登場人物であるNPC(ノンプレイヤーキャラ)の"おじさん"は、異変によってかなりわかりやすく変貌する。複数の異変が同時発生することはないので、まずおじさんを確認してから周囲を見る……なんてルーティンが組まれていくようになったり。
別にホラー耐性が強い人間だけが、いわゆる"間違い探しの修羅"になるというわけでもない。どれだけビビリな人であろうと、結局はこの地点に辿り着く。というか、辿り着かないとクリアできない。そりゃ根本は間違い探しなのだから当然だ。
普段はびくびくしているあの人(配信者など)が、ホラーなギミックを見つけて喜んだり、どんどんキャラクター操作の動きが洗練されていって、ホラーゲームらしからぬ行動を見せるようになったり……。ある意味、こっちのほうが"異変"である。
それと、間違い探しが"視聴者参加型のコンテンツ"と相性がいいこともあげられるだろう。全員が配信者の視点を通して異変を探すことで、配信全体での一体感が生まれる。視聴者は配信者に助け舟を出すこともできるし、逆に「オレ、わかっちゃったけどなぁ~」と画面の前でニヤニヤ見守ることもできる。
サイゼリヤを利用したことがある人は、料理が提供されるまでの待ち時間に"間違い探し"が描かれたキッズメニューをみんなでわいわい喋りながらのぞき込む……なんて経験をしたことはないだろうか。『8番出口』の配信を見るのは、だいたいこの体験に近い。
『8番出口』がゲームとして少し不親切というのも、配信コンテンツとの適正に関わってくる。本作は正解するまで"何が異変だったのか"わからない。別途、答え合わせがないのである。
そんなとき、配信者はすぐに視聴者の力を借りることができる。もちろん迅速に見つけ出すにはかなりの視聴者数がいることも重要になってくるが、そうでなくとも、自分ひとりよりも多くの目が関わることでクリアがしやすくなるのは確かだろう。
同じ体験をしながら密接なコミュニケーションが取れる……という点では、視聴者数が少ない方が見ている側の満足度は大きいかもしれない。それこそ、さきほど書いた「友人とファミレスで間違い探しを見る」感覚はこちらのほうが近いだろう。
だから流行った『8番出口』、フォロワーゲームである"8番出口ライク"もたくさん
没入型の1人称視点ホラー×間違い探し。この切り口が斬新かつ、いまの時代にフィットしていたことは間違いないだろう。とはいえ、個人的にはさきほど語った、「ホラーマニア垂涎のシチュエーションでありながらプレイヤーの到達する地点が"間違い探しの修羅"になる」という部分が『8番出口』がおもしろい理由のひとつだと思っているので、続編の『8番のりば』がちょっとばかり辛い評価を受けているのもなんとなくわかってしまう。
『8番のりば』は異変の攻撃性が増し、ゲームオーバーとなる機会が多くなったことでより、(死の恐怖と対峙する)ホラーゲームとして"洗練されてしまった"。その影響で『8番出口』の持っていた間違い探し的な楽しさが減ってしまい、その結果『8番出口』を求めていたユーザーの需要とは食い違ってしまったのではないか……というのが個人的な推察だ。
ただ、ゲームのジャンルに大きく新たな地平を切り開いた『8番出口』は、多くのフォロワーゲームが作られている。だからこそ、もし「『8番出口』の続編です!」ということでまったく同じフォーマットで同じようなものが出てきたら、それはそれで「なんか違うな……?」となっていたような気もしてしまう。
そういう意味では、『8番出口』の形式を活用しつつ新たな地平を目指した『8番のりば』のやり方は正解だったように思える。
……ああ、なんか偉そうな書き方だ。ようするに『8番出口』も『8番のりば』もよいゲームであったことに違いない。とりあえず筆者はどっちも大好きです。閉鎖空間ってモチーフに弱いんだ、どうにも。
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