『ファイナルファンタジーX』永遠のナギ節とは?

"ナギ節"という言葉に込められた意味を探る

ライター /

重要なポイント

  • 『ファイナルファンタジーX』の"ナギ節"とは、諸悪の根源である怪物・シンが存在していない期間を指し、本作の舞台となるスピラの一時的な平和を象徴している。
  • また"永遠のナギ節"とは、シンが完全に消滅した平和な日々を意味しています。
  • HDリマスター版に付属するボーナス映像『永遠のナギ節』では、シンを倒したあとのスピラおよび、ユウナの日常が描かれている。

『ファイナルファンタジーX』(以下、『FFX』)は、主人公ティーダが、諸悪の根源である怪物・シンを倒すためにヒロインのユウナとともにスピラという世界を旅をするRPGです。

なお、本作中には何度か、"ナギ節"という言葉(用語)が出てきます。

また、『FFX』のHDリマスター版には、ボーナス映像として『永遠のナギ節』というムービーが収録されています。

本記事では、そんな"ナギ節"および"永遠のナギ節"の意味について解説します。


注意
なお、本記事にはネタバレ要素の解説も含まれています。閲覧は自己責任でお願いします。

ナギ節とはいったい何か?

『ファイナルファンタジーX』浜辺にいるユウナ

©SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

"ナギ節"とは、『FFX』の世界観において"シンが存在していない期間"を指します。シンとは、『FFX』の舞台であるスピラという世界を破壊している怪物のことです。

スピラで暮らす人々にとってシンは、破壊の象徴として恐れられています。そこでスピラの人々は、シンの破壊活動を止めるため、召喚士に召喚術を会得させることで暴走を止めようと尽力しています。

この"召喚術でシンが破壊活動を停止している期間"を"ナギ節"と呼んでいます。

ナギ節の"ナギ"の語源は、風のない状態である"なぎ(凪)"のこと。つまり、シンを"風"にたとえて、シンが消えて暴風が止んだ状況を表わしています。ちなみに"節"の読みは、"ぶし"ではなく"せつ"です。つまり"ナギせつ"が正しい読みかたになります。


メモ
余談ですが、オンライン専用RPGの『ファンタジーファイナルXIV』(以下、『FF14』)では、プレイヤー同士のやりとりのなかで"ナギ節"という言葉が使われています。パッチ(バグの修正やクエストや武器の追加などの修正データ)によるアップデートからしばらく経ち、(新コンテンツを遊び終えたあとの)落ち着いた期間を指しています。『FF14』のプレイヤーのあいだでは、「ナギ節だからヒマだな」、「ナギ節のあいだは別のゲームを遊ぼう」のように使われています。

"ナギ節"が訪れる条件とは?

『ファイナルファンタジーX』ワッカと会話するユウナ

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では、"ナギ節"(=シンが破壊活動を停止している期間)は、どのような召喚術によって訪れるのでしょうか? 物語の舞台であるスピラの民は、シンを倒す唯一の方法は"究極召喚"だと教育されています。究極召喚とは、スピラの召喚士が強い絆で結ばれた友人を生贄として捧げて、友人を媒体とした強力な召喚獣を呼び出すための召喚術です。

たしかに究極召喚でシンの肉体は消滅するのですが、シンの魂までは滅びずに別の召喚獣に憑依して復活してしまいます。つまりスピラの人々は、以下の"負のサイクルによる気休めの平和"を繰り返していたのです。

  1. 命がけの究極召喚でシンを倒す(平和が訪れる)
  2. 別の召喚獣に憑依して新たなシンとして復活する
  3. 復活後も別の召喚士が究極召喚で倒す(平和が訪れる)
  4. また別の召喚獣に憑依してシンが新しく誕生する
  5. 他の究極召喚の生贄を探してシンを倒す(平和が訪れる)

このような堂々巡りのなか、気休めの平和な期間を、彼らは"ナギ節"と呼んで祝福していたのです。


メモ
では、スピラの召喚士は、こんな矛盾した負のサイクルなのにも関わらず、究極召喚のたびに命を犠牲にしていたのでしょうか? じつは、スピラでは"エボン教という宗教"があり、教えのなかで"究極召喚"が唯一の解決策と教育されていたのです。

シンが復活する理由も人間の"罪"があるからとされており、"シンの魂は、別の召喚獣に憑依して復活する"という真実を知らされていません。そのため、宗教上の教えだからと何度も、その場凌ぎな方法を繰り返していたのです。

正直、何度もシンが復活している時点で教義が胡散臭いと感じそうですが、"教え"に毒されて感覚がマヒしていたのかもしれません。

"永遠のナギ節"とは?

『ファイナルファンタジーX』空を見上げるユウナ

©SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

では、"ナギ節"と"永遠のナギ節"の違いはなんなのでしょうか?  前者は、"シンが復活するまでの期間"で、後者は"シンが永遠に復活しない平和な日々"を指しています。つまり、気休めの平和ではなく、"シンが完全消滅した平和な日々"を"永遠のナギ節"と呼んでいます。

"永遠のナギ節"が訪れたきっかけは、ゲーム中にティーダと召喚士ユウナが、究極召喚の矛盾点に気づいたことでした。旅のなか、究極召喚で召喚士と生贄になるパートナーの命を捧げても、シンの魂は完全に消滅しないことを知ったのです。

さらに、幼少期にユウナの父親であるブラスカが究極召喚で生贄になっていたのも相まって、ユウナは究極召喚を拒絶しました。そこでティーダとともに新しい策を模索しはじめます。

悩んだ末にユウナは、"シンの体内に侵入してシンの魂を消滅させる"ことを思い付いたのです。そして、シンの体内に入り込み"シンの魂"と戦い、<究極召喚で肉体は滅びても魂が別の召喚獣に憑依する>という問題点の解消に成功します。結果、 シンの魂の消滅により復活サイクルが終了し、ユウナが歴史上、初めての"永遠のナギ節"をもたらしたのです。

ボーナス映像コンテンツの『永遠のナギ節』

"永遠のナギ節"とは、『FFX』における固有名詞ですが、『FFX インターナショナル』と『FFX』のHDリマスター版に収録されているボーナス映像のタイトルにも『永遠のナギ節』と名付けられています。

ボーナス映像『永遠のナギ節』では、ユウナ一行がシンを倒して、スピラを救ったあとの世界の変化を映像コンテンツとして視聴できます。物語は、ユウナが新たな旅に出る決意をするまでの心情の変化や、シンが消えて平和になったスピラの人々の様子が描かれています。

映像内では、リュックやワッカといった『FFX』のパーティーメンバーたちも登場しており、スピラでの平和ぶりが深く感じられる内容になっています。シンを倒して英雄になったユウナは、世のなかをよくするためにスピラの人々の期待に応え続けながらも、自分の本当の幸せとやりたいことについて葛藤しています。

そして最終的には、自分のやりたいことに気付いて「これは私の物語だから」と、自分の意思で旅に出る決意を固めます。以前のように、スピラの民の要望に答える偉大な召喚士としてではなく"自分の幸せとやりたいこと"を優先すると決めたのです。


メモ
この旅を決意するシーンは、『FFX-2』の伏線として描かれています。もしこれから『FFX-2』を楽しみたいかたは、ゲームをプレイするまえに視聴するのをおすすめします。

『FFX-2』は、シンを撃破してから2年後のスピラが舞台です。ゲーム中にはシンが復活せずに人々が安心している様子も描かれており、そういう意味では『FFX』のシンに怯えて暮らしていた暗めな世界から、シンの脅威が去ったことでスピラの民の価値観が変化したのかもしれません。

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